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代表取締役社長 吉塚 康一

代表の思い

目次

CONTENTS

01 貧乏学生を救ってくれた
「互換サプライ品」

現在の事業につながる私の原体験は大学1年生までさかのぼります。新潟大学法学部に進み、英語研究部(ESS)に入った私は、初めて「ワープロ」に出会いました。ESSの先輩が使っていた、シャープ製の「書院」というワープロです。現在ではワープロがどのようなものか知らない⼈のほうが多いかもしれません。簡単に言えば、Wordだけが⼊ったノートブックパソコンにモバイルプリンターがついているようなヤツ。⽂書をフロッピーディスクに保存でき、推敲が簡単になると同時に、そのデータを使いまわして似たような⽂書をどんどん印刷できます。⼿書きとは圧倒的に違う効率を実現できました。

私が法学部に進んだのは、就職を考えてのこともありましたが、もともと硬い⽂章を書くのが好きであり、また得意だったことも理由です。ワープロを駆使し、さまざまな申請書類を効率よく作れるようになったので、育英会奨学⾦や授業料免除、さらには国費留学⽣としてカナダのトロント大学へ留学するという恩恵にあずかることができました。

このようにワープロは私の人生を強く支えてくれたわけですが、問題がなかったわけではありません。当時のワープロは本体⾃体も⾼かった(20万円弱)のですが、サプライ品であるインクリボンカセットもやはり⾼かったのです。純正リボンは当時、1個1000円程度。インクで⾔えば容量にあたる⻑さは80m。A4サイズはヨコ210㎜で通常は36⾏なので、A4⽤紙1枚の印刷につき76cmほど消費することになります。計算では100枚ほど印刷できるはずなのですが、実際に使っていると、どうも50枚ほどしか印刷できません。

シャープのワープロ「書院」

現在のインクジェットプリンターにおいても「ヘッドクリーニング」、すなわちヘッド詰まりの解消を⽬的として、本来は印刷に使われるべきインクをヘッド内の空気を⾶ばすために定期的に消費し、廃インクパッドに送る仕組みがあります。当時、ワープロのリボンカセットの動きを見てみると、電源オンの初動時にリボンを送る仕組みがあることが分かりました。場所の特定、正しい動作の確認など、技術的な理由はあるのでしょうが、貧乏学⽣には何かモヤモヤと納得できない気持ちがあったのでした。

そんな私を助けてくれたのが、実は当時から存在していた互換品だったのです。オーム電機、富⼠フィルム、花王、パイロット、コクヨ、ダイニック、マクセルといったメーカーが互換品のインクリボンカセットを製造していました。純正品が1000円程度であるのに対し、互換品は半額ほどで使い勝⼿は同じ。経済的に苦しいヘビーユーザーとしては、これらの互換品にどれだけ救われたか分かりません。しかし当時は、互換サプライ品を⾃分の⼀⽣の仕事にするなんて知る由もありませんでした。

シャープ製の純正品リボンカセット

シャープ書院⽤の互換品リボンカセット(左からパイロット、オーム電機、富⼠フィルム)

02 総合商社で事業の栄枯盛衰を
目の当たりに

カナダ留学を終えて帰国した私は、新潟⼤学ESSの先輩の縁を頼って就職活動し、1996年に三井物産に⼊社しました。「カナダに⼟地勘があるだろう」ということで、私は製紙原料部という部署に配属され、カナダ産製紙⽤パルプを輸⼊し国内の⼩規模な製紙⼯場に販売する業務を担当することに。ここで貿易のイロハや商売のイロハをゼロから教えてもらいました。それだけではありません。印刷の重要な要素である紙についての基礎的な知識を得られたことも貴重な財産となりました。紙の特性を知ることで、プリンターに求められる品質も理解できるようになったのです。

1998年には中国修業⽣として北京語⾔⽂化⼤学(語⾔学院)に留学。翌年には三井物産南京事務所へ配属され、社内で⾔うところの中国村(中国ビジネス専⾨家)への道をたどりました。当時は中国ビジネスの実務を担える⼈材は商社のなかでも少なく、⾃分が会社の役に立てていることをうれしく思っていました。2000年に東京本社へ戻り、エレクトロニクス事業部へ。液晶パネル(ICチップのかたまり)を輸出する、三井物産内部でも花形と言える仕事を経験しました。⽶国のPCメーカーの下請け⼯場が台湾から中国⼤陸に移転していく流れを追いかける形で、2002年には上海で100%⼦会社「三井信息電⼦(上海)有限公司」の⽴ち上げに参加。そのまま副社⻑となり上海に駐在しました。ここで私は、中国での会社設⽴の実務だけではなく、経営陣の⼀員としてチームをまとめ、事業の最前線に⽴つという貴重な機会を得たのでした。

上:北京語⾔⽂化⼤学
右:三井物産南京事務所

しかし⽇本メーカーの液晶パネルビジネスは韓国勢や台湾勢に侵⾷され、徐々に衰退していきます。⽇本企業の優位性がいとも簡単に失われ、追い落とされていく現実を目の当たりにしたのです。今にして思えば、当時の⽇本企業は⼀部の現実主義的な社員を除いて、⾃らの置かれた⽴場と伸び⾏く海外勢の実態を理解できていなかったのかもしれません。時代錯誤で根拠のない日本優位論も至るところでささやかれていました。最終的には部署そのものが解体されるという話も出てきて、私はモチベーションを見失うことに。優秀な先輩や同僚のなかで⾃分が出世する可能性がないことも理解していた私は、ここがそろそろ引き際、⾃分⾃⾝で商売をやろうと考え、2005年に退職して株式会社キュリエを創業しました。

⿃取三洋製TFT液晶モジュール

キュリエ創業時の吉塚

03 互換品の社会的意義を信じ、
危機的状況からV字回復

起業後の最初の仕事は、三井物産の下請けとして中国製液晶パネルを販売する業務をサポートすることでした。会社員時代の上司の計らいで1年ほど⾷いつないだのです。運命の出会いは2008年。中国の取引先関係者から互換インクの紹介を受け、「これはいける!」と直感が働きました。

その頃の互換インクはプリンター本体を製造する純正メーカーから忌み嫌われる存在で、ときには「パッチもん」「コバンザメ」などと呼ばれていました。そんなふうに言われると、使う側の消費者ですら何やら後ろめたさを感じてしまいます。ましてやそれを供給する企業は⽇陰者と⾒られがち。しかし私自身は、当初からそんなことはまったく思わず、むしろ世の中に必要な存在だと確信したのです。印刷は⽣活必需品であり、⽣活が苦しい個⼈や企業にも印刷は必要です。⾼価な純正品をいくらでも買える⼈はそちらを買えばいいのですが、⼀⽅では学生時代の私のように、経済的な理由で純正品を買い続けられない人もいるでしょう。その⼈たちに新たな選択肢を提供することには大きな意義があるはず。ドラッグストアに⾏ってベビーオイルやヘアスプレーを探せば、同じような商品にもさまざまな選択肢があります。他社の知的財産権を侵害しない限り、安価なジェネリックを供給することは善であると信じていました。

経済的に余裕がない⼈たちには安価な選択肢が必要

そんな思いを胸に、さっそく⽇本市場向けに営業活動を開始。販路は拡がっていきましたが、やがて単純な貿易ではビジネスが持続しないことが明らかになりました。2012年には商品購⼊元が当社の仕⼊れ担当チームと結託し、なんと社員が⼤量離脱。当時の最⼤の顧客への商流が横取りされる事態となってしまいます。今にして思えば、私⾃⾝の不徳の致すところとしか⾔いようがありません。商売への⾒⽅が⽢かったし、油断もありました。当時のキュリエは売上高約3億円でしたが、⼀気に5000万円ほどの売上減。あのときに倒産していてもおかしくなかったと思います。

単純な貿易では⽣き残れない。川上に⾏くか、川下に⾏くか。私は後者の川下にしか活路はないと考えました。そこで同年に⾃社ECサイト「インクのチップス」を開始。私⾃⾝はある程度ネットリテラシーに⾃信があったものの、それでもネットショップや⼩売業は専⾨外でした。若⼿社員2名に運営を託し、⾃分⾃⾝も学びながら、少しずつ業績を伸ばしていきました。本店に続き楽天市場へ出店し、2015年と2017年にはインクのチップス楽天市場店が「ショップ・オブ・ザ・イヤー(PC周辺機器ジャンル賞)」を受賞。その後はAmazonやYahoo! ショッピングにも出店し、インクのチップスに続く第2ブランド「横浜トナー」や第3ブランド「エコスロバキア」もスタートさせました。2018年からはインクのチップスのイメージキャラクターに⻑州⼩⼒さんを起⽤し、認知度がさらに高まりました。

ショップオブザイヤーを
受賞

すべての⼩売業がリアルからネットへと移⾏する現在。キュリエが扱う互換インクには特に追い風になっていると感じます。互換インクもプリンターも型番の増加が著しく、家電量販店は棚不⾜が慢性化。⼀⽅でキュリエのネットショップは、⿊+1、⿊+2、2セット、⿊だけ10個、⿊抜きカラーのみなど、お客さまが真に求めるラインナップを揃えることができるのです。

メインキャラクターに⻑州⼩⼒を起⽤

さらに、当社のもう⼀つの柱である貿易部⾨(法⼈事業部)も好調です。同部ではサプライ品の完成品ではなくその部材にシフトし、中国製のICチップや感光ドラム(OPC)、ローラー類、トナーパウダー、回収エンプティ―などを⽇本国内の再⽣トナー⼯場に販売しています。再⽣トナー⼯場は関⻄に多いこともあり、2019年には⼤阪オフィスを開設。部材マッチングの研究開発技術者や営業担当者が常駐し、業績を伸ばし続けています。

型番の膨⼤化により、リアル店舗では品ぞろえが困難に

様々なトナー⽤部材を取り扱う

04 人々を救うことがキュリエと
私自身の使命

企業理念にも謳っている通り、キュリエは「アフォーダブルでゆとりある世界」の実現を使命としています。また、⼈類の進歩の歴史は、⻑い印刷の歴史とともにあります。印刷が安価になったことで知識が庶⺠層にも広まり、社会全体が発展していきました。テクノロジーの進化によってペーパーレスの潮流が見えても、印刷ニーズが消えることはないでしょう。BtoCでは年賀状の減少や写真印刷の減少など、インクジェットの需要減が顕著ですが、ホームワーク印刷などのレーザー部⾨は伸びています。

とはいえ、キュリエは現在のビジネスモデルだけに固執しているわけではありません。デジタル化の進展を捉え、将来的な発展が期待できる「レンタルプリンター」や「スマホフィルム印刷」などの事業も視野に⼊れています。同時に、現在強みを発揮しているサードパーティーのサプライ品もしっかり深掘りして、品質⾯・サービス⾯でのさらなる向上を図っています。アフォーダブルなプロダクトやサービスで価値創造を目指すキュリエにとって、「安かろう悪かろう」に価値はありません。安⼼して使うことができ、アフターサポートも充実した安価なサード品を提供することこそ、私たちの存在意義です。

そしてこれは、私自身の使命でもあると確信しています。使命とは「命を使う」と書きます。⾃分の命を何のために使うのか。その問いはすなわち、⾃分が何をするために⽣まれて来たのか、何をするためにこの世に現れたのか、ということでもあります。私自身のこれまでの歩みを振り返れば、私はやはり「安価な印刷を提供する」ために⽣まれてきたと思わざるを得ません。⼤学時代にワープロの互換リボンが存在したおかげで、貧しくとも⾃分の潜在能⼒を発揮し、⼈⽣を切り開くことができたからです。

私には3⼈の⼦どもがいます。長男が小学生だったある日、「お⽗さんは何の仕事をしてるの?」と聞かれたことがありました。私は⾃信を持ってこう答えました。
「安い印刷を提供する仕事だよ。お⽗さんのような会社があるから貧しい⼈も勉強できるんだ。⼈々を救う、とても素晴らしい仕事なんだよ」